福岡学習センター長の徳永です。私は昨年まで天草の本校で日本史を担当していましたが、その日本の歴史を紐解く中で、欠かすことのできない人物を取り上げていきたいと思いこの日本史偉人伝を作りました。
さて、皆さんは、平成19年(2007)から新しく「昭和の日」という祝日が加わったことを知っていますか?かつては、「みどりの日」とされていた4月29日が「昭和の日」です。「みどりの日」は、もともとは「昭和」という時代を支えられた、昭和天皇の誕生日でした。昭和64年(1989)1月7日に昭和天皇が崩御(お亡くなりになること)されたことを受けて年号が「平成」に改まり、当時の「天皇誕生日」であった4月29日は昭和天皇が自然を愛されたことにちなんで、平成元年から「みどりの日」と名称を変えて祝日として存続しました。しかし、多くの国民の要望を受けて、平成17年(2005)に国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、平成19年より「昭和の日」とすることになったのです。
今回は、その「昭和」の象徴である昭和天皇について皆さんにお伝えしたいと思います。
昭和天皇は、今上天皇(現在の天皇陛下)のお父上で、昭和元年(1926年)に即位されました。初代の神武天皇から数えて124代目の天皇です。激動の「昭和」をまとめられた人物として、多くの国民の心に刻まれています。皆さんのご両親や私たち職員も、多くはその「昭和」生まれの人間です。「昭和」は、中国の書物『書経』の中の「百姓昭明、協和万邦」という言葉が語源で、これには国民の平和と世界各国の共存繁栄を願うという意味が込められています。
昭和天皇は、大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)が終戦した翌年の昭和21年(1946)2月から昭和29年(1949)8月まで、全国の被災地を視察して国民を激励するため、行程33,000キロ、総日数165日にも及ぶ全国御巡幸を行われました。千葉県への御巡幸の際は、御召列車の中で御仮伯されました。その際の様子は次の通りです。「千葉県への御巡幸は6月6日・7日の両日にわたって行われた。(中略)県は銚子での行在所(お泊りになるところ)を(中略)交渉したが、戦災で焼け、到底お迎えできるような家でないと辞退したので、そこで困ったあげく、結局、お召し列車を貨車引き込み線の新生(あらおい)駅に入れて、一晩、動かない汽車の中で陛下にお休み願うこととした。もちろん、車内にはゆっくり休んでいただく寝台もなければ、入浴の施設もない。このことを陛下に申し上げると、『戦災の国民のことを考えればなんでもない。10日間くらい風呂に入らなくてもかまわぬ』とのお返事を頂いた。(以下略)」千葉県への御巡幸を含め、昭和天皇が立ち寄られた場所は1,400箇所を越えるものでした。一時は、当時日本を統治していたGHQ(連合国最高司令官総司令部)の意向により、御巡幸が中止となる動きもありましたが、陛下御自身が御巡幸の復活を切実に願われ、自らGHQのマッカーサー元帥に面会されて、御巡幸は再開されました。御巡幸先では、多くの国民が崇高な行脚のお姿に感動し、涙を流す人もいたそうです。昭和天皇から日本を復興させようというエネルギーを頂いたという国民も多かったのではないでしょうか。
昭和63(1988)年9月、昭和天皇は大量の吐血をされて危険な病状となりました。当時、私は小学校に入学する直前でしたが、子どもながらに毎日流れるニュースを見ながら、「大変なことが起こっているんだな」と思っていました。その年の秋は雨が多く、その状態にあっても、昭和天皇はお見舞いに上がった宮内庁長官に「雨が続いているが、稲の方はどうか?」と、重篤な病状にある自己のことよりも、その年の稲の作柄を案じていらっしゃいました。どんな状態にあっても、日本の国民のことを一番に考えていらっしゃったのです。
「平成」の世の中になった今も、昭和天皇の記憶は多くの日本人が語り継いでいくことでしょう。