1、「新しい平和主義」とは何?
(1)「敗戦後遺症」からの脱皮が求められている
君たち若い世代は、つい73年ほど前、我が国がアメリカやイギリスなど、アジアを植民地として支配していた欧米の国々を相手に大東亜戦争(太平洋戦争)を戦ったことは、遠い歴史上の出来事でしかないでしょうね。
何故、何を目的で戦ったのかなどについては、歴史の時間に学んでもらいますから、ここではそこは飛ばして、この戦争に日本は負け、そこから始まった「戦後」という時代の特殊性について簡単に述べましょう。
「戦後」は、戦争の勝者となったアメリカを中心とする連合国による日本支配から始まりました。勝った国が負けた国にすることは誰でも想像がつきますよね。そうです。「報復」と「賠償をさせること」と「無力化」です。「戦後の特殊性」はそこにあります。
しかし時代はめまぐるしく変化します。そしてわが日本国民は必死で頑張りました。その結果、今や我が国は世界の大国となり、かつての敵国の総大将「アメリカ」と最大の同盟国として、世界の発展と平和に大きな貢献を期待される立場になりました。
しかし、日本国内の平和安全政策のシステムや基本の考え方、方向性などが、敗戦当時の戦勝国による「日本無力化」のままなのです。我が国が世界の期待に応えていくためには、一日も早くその「戦後後遺症」から脱皮する必要があるのです。それができなければ世界の期待に応えるどころか、日本そのものが消滅する危険さえあると危惧されています。
(2)「新しい時代のニーズ」に応えるために
「新しい平和主義」というのは、「戦後後遺症」を乗り越えて、新しい時代のニーズにこたえるために我が国に求められる「新時代の平和主義=積極的平和主義」のことです。それは日本の平和を守り、世界の平和に貢献するために、私たち日本国民が果たさなければならない最大のそして喫緊の課題です。
その「新しい平和主義」の時代は、今からの時代を担う君たち若者が拓くのです。
2、戦後の平和主義の特徴
(1)「空想的平和主義」
結論を先に述べます。戦後の平和主義は、「空想的平和主義」でした。みんな知っているように日本国憲法の3大原理と言われているのは、国民主権、基本的人権尊重、そして平和主義ですね。平和主義にケチをつけようというのではありません。平和は何より大事です。戦争が好きな人間なんていませんよ。しかしその平和は何もせずには守れません。国民の強い意志と努力があって守られる。
「空想的平和主義」というのは、憲法9条さえ守っていれば我が国の平和は維持できるという考え方のことです。憲法9条には「戦争放棄」の決意が書かれています。日本は「戦争は放棄」したのだからほかの国が日本を攻撃することはないという、信じられないほどの現実を無視した考えですね。日本が戦争を仕掛けなくても、ほかの国から仕掛けられることはある。だからそれを事前に防止するためにどうするかというのが世界各国の「平和安全政策」なのです。
(2)「お花畑で夢見る乙女」を演じてきた戦後の日本
私には、「空想的平和主義」の日本は、お花畑で夢見る乙女を演じていたように思えて仕方がありません。周りには怖いオオカミたちがうようよいて虎視眈々(こしたんたん)と夢見る乙女を襲おうと狙っていました。赤い毛をしたオオカミがね。
しかし実際には襲われなかった。なぜでしょう。それは自衛隊が必死で守っていたことと、アメリカがバックにいたからです。「夢見る乙女」を襲うとアメリカという世界で一番強い大ボスが出てくるぞと分かっていたから、手が出せなかったのです。
(3)お花畑は通用しない時代
しかし、夢見る乙女は、そうとは知らず、「この世にオオカミなんているわけがないのだから、自衛隊もアメリカとの同盟関係も、必要ない」と駄々をこねてばかりだったのです。
そんなある日、突然、ソ連という赤いオオカミの大ボスが自滅していなくなったのです。これで安心だとオオカミの怖さを知っていた人たちまで安心して油断していたら、オオカミが急激に増殖して中国共産党というソ連とは別の大ボスが誕生して、本気で夢見る乙女を餌食にしようと企み、盛んにちょっかいを出してきたのです。赤いオオカミの特徴は周りにいるものを片っ端から餌食にする点なのです。それは以前のソ連という大ボス時代から変わっていない。
一方でアメリカは、「日本はすでに立派に成長したのだから自分のことは自分でしてくれないと、うちの家族がよそのことにかまけないで我が家のことをもっと大事にしてよと言い始めたぞ」という状況になってきた。
つまり、日本を取り巻く世界が「お花畑」ではなくなったのです。オオカミの襲撃に独自で備えなければならない時代になったということです。以前よりもはるかに危険な時代です。
3、憲法の平和主義をおさらいしよう
(1)憲法の前文は憲法の基本原則や理想を宣言したもの
憲法は103箇条の本文で構成されていますが、9条を含むそれらの規定は前文を具体化したものです。では「平和主義」についてはどのように書かれているか見てみましょうね。
日本国憲法前文(前段省略)の平和主義についての規定
(下記は、平和主義に関する直接的な記述のみ、また原文のままを記載)
Ⅰ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
Ⅱ、われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
Ⅲ、われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
以上3つの文章で構成されているのが憲法の「平和主義」の理念です。
Ⅰについて
これが憲法9条の基になっています。日本さえ戦争を放棄すれば世界中のほかの国はすべて平和愛好国だから、戦争になることはないという前提条件に立って書かれています。この文言が「空想的平和主義」の根拠とされてきました。
日本国憲法が公布されたのは昭和21年11月3日、施行されたのは22年5月3日です。終戦直後の世界は、厭戦(えんせん)気分が充満していました。戦争を仕掛けたのは日本だから、日本を無力化しておけば、世界の平和は維持できるという発想が支配していたと考えられます。(歴史の真実はアメリによる仕掛けだったとする説が有力となってきている)
しかし、その直後に、東西冷戦がはじまるのです。ソ連のコミンテルンによる世界革命という膨張主義が表面化し、ソ連をリーダーにした社会主義の陣営と、共産主義の膨張を封じ込めようとするアメリカをリーダーとした自由主義陣営に、世界が2分されて一触即発(いっしょくそくはつ)の状態でにらみ合いの時代になったのです。
そして中国共産党と国民党の内戦、朝鮮戦争の勃発と相次ぎ、世界は「平和を愛する諸国民」だけではなくなった。したがって平和愛好国の「公正と信義」に信頼して「安全と生存」を保持することは、実質的に不可能になったのです。ですからこの時点で、憲法前文の平和主義に関するこの規定は空文化したのです。
しかし、空文化してすでに70年になるのにも関わらず、日本の平和主義と言えばこの規定が根拠とされてきましたが、実は、憲法の平和主義は決してこの規定だけではないのです。「新しい平和主義」つまり「積極的平和主義」こそが憲法の平和主義に、より忠実な理念だったのです。来月はあと二つの平和主義の理念について学びましょう。