去る10月22日、「国難突破」とうたった衆議院の総選挙が、自民党圧勝という結果で終わりました。国民は直面する日本の国難を安倍政権で乗り切ってほしいという選択をしました。18歳、19歳になっていた皆さんにとっては歴史的にも初めての衆議院選挙の投票だったわけです。
この原稿は、10月25日第8回スクーリングの授業の合間に書いています。
今日の産経新聞に、この国難についてのいくつかの重要な記事が載っていますから、まずその内容を紹介しましょう。
1、朝鮮半島有事の際の在韓邦人救出は、アメリカ・オーストラリア・カナダの有志連合で自衛隊機を活用して行うことを政府が検討していると報じています。「有事」というのは戦争状態になるという意味です。有志連合というのは国連の平和維持活動とは別にテロ対策などで同じ意思を持つ複数の国家が連携した組織のことです。
現在、韓国在住の日本人は、長期滞在者3万8千人、短期滞在者1万9千人、計5万7千人。自衛隊機で救出するには、1昨年の平和安全法制の成立で、韓国政府の同意があれば派遣できるようにはなりました。しかし韓国政府が同意する見通しは全く立っていないのです。そこで日本政府は、有志連合の枠内で自衛隊機を活用して行うという計画をしているというわけです。
ここで思い出してほしいのは、1985年、イラン・イラク戦争の際、イランに取り残された日本人をトルコの民間機が飛来して命がけで救出してくれたという歴史秘話です。ポプラ通信8月号で紹介しましたね。自衛隊機は憲法9条の制約で海外に派遣できなかったのです。民間機は「自衛隊も派遣できないような危険なところには飛ばせない」ともめているうちにタイムリミットぎりぎりになって、トルコの民間機2機が飛来して日本人を救出してくれました。スクーリングの道徳でも話しました。
これではあんまりだということで平和維持活動では自衛隊を海外派遣できるようになり、やっと平和安全法制の整備でした。反対派からはいまだに「戦争法だ」なんて批判されていますが、これでもまだ、日本国民を救出するだけでも極めて不十分なのです。有志連合でやると言ったって、結局は自分でできないからほかの国に「助けて」ということですよ。
イラン・イラク戦争の時、当時の国民はみじめで悔しい思いをしました。そして国民の命も助けることができないで「何の平和憲法か」と怒ったものです。あれから32年もたって、また同じみじめで悔しい思いをしなければならないのです。
これも有志連合に頼って救出が成功した時の話であって、もしこれが成功しなかったら、悔しいどころの話ではすみません。多くの同胞を私たちは見殺しにしてしまうのです。
2、もう一つは、福岡市が市民対象の「対北朝鮮ミサイル」訓練を12月1日実施する旨発表したという報道です。これは全国の政令指定都市では初めての取り組みになります。朝鮮半島有事となれば地理的に九州とりわけ福岡市などは最も多くの危険にさらされますからね。
高島宗一郎福岡市長は、「武装ゲリラや難民を海岸線で発見した場合、どこに通報するのか。移送や収容の責任はだれが持つのか。地方自治体には核・生物・化学兵器の専門家もいない。国と地方の責任分担を明確にする必要がある」と話しています。
これに先立ち九州市長会では10月17日、有事における具体的な対応を国に示すよう申し入れたとの報道もなされていました。
いよいよ「国難」が現実味を帯びてきました。このような時、大事なことは、国民が日本人としての誇りをもって、国の独立と国民の命を守るために、他国からの不法な侵略行為に敢然として戦う心の姿勢を持つことです。誇りをなくした民族は滅びるというのは人類の歴史が証明していることです。
かつて日本人は誇り高く強靭な精神を持った民族でした。例えば昭和19年915日米軍の上陸開始から73日間の壮絶なペリリュー島の戦いでは、中川州男(くにお)大佐率いる守備隊約1万2千名が雲霞(うんか)の如く押し寄せるアメリカ軍相手に壮絶な戦いを繰り広げて玉砕(ぎょくさい)し、生き残った34名の日本兵は、戦争が終わってからも2年以上も洞窟(どうくつ)にこもって戦い続けたのでした。玉砕というのは全滅という意味です。一般的に部隊の3割が死傷すると、その部隊は怖気づいて戦う気力をなくして全滅とみなされるのですが、日本軍だけは最後の一人になるまで戦ったのです。
ペリリュー島は、ちょうど本校がある御所浦と同じ面積の小さい島ですから、当初米軍は「メイビースリーデイズ」(多分3日で陥落できる)と高をくくっていましたが、73日間も持ちこたえたのです。わずかな弾薬しか持っていなかった日本軍部隊は、塹壕(ざんごう)を掘ってこもり、夜襲をかけて肉弾突撃を繰り返しました。米軍は恐怖におののき「勇敢な日本兵の皆さん、夜間の切り込みは止めてください。あなた方が夜間の斬りこみを中止するなら、我々も艦砲射撃と爆撃を中止します」と日本語で放送したほどでした。もちろん、日本軍が中止するはずはありません。
米軍が大東亜戦争中日本軍兵士のこの勇敢で強靭(きょうじん)な精神に恐れをなしていた証拠に、日本軍との戦い方を書いたマニュアルの中に「日本兵も人間だ。恐れることはない」という一文があったとことなどを、アメリカ人で日本で活躍中のケント・ギルバートさんが「ついに『愛国心』のタブーから解き放たれる日本人」(PHP新書)の中で紹介しています。
日本人の凄さは戦争の時だけではありませんでしたね。そうです。戦後は、世界中がもう日本は復活するのは無理だと思うほどの廃墟と化した中から立ち上がり、わずか19年後の昭和39年には東京オリンピックを大成功させて世界を驚かせました。さらにその数年後には、戦勝国をごぼう抜きにしてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になったのです。これらの奇跡は、日本人の自分のことは後回しにして世のため人の為に頑張る精神があったこと、なにより強靭な精神が残っていたからにほかなりません。
しかし、アメリカはその日本人の優秀さが怖くて怖くてたまらなかったのです。ですから昭和20年から27年の4月28日の日本の独立回復までの間の占領中、日本国民の「精神的武装解除」という第2の戦争を徹底して実施しました。その実践の場となったのは学校の教育でした。それは「民主教育」という名のもとに行われたのです。「民主教育」の実体は、①日本人の誇りを奪うこと ②国民としての団結(共同体意識)を破壊すること
③無抵抗主義(空想的平和主義)を浸透すること、でした。
それは米軍が英文で書いて翻訳された「日本国憲法」とセットで行われました。日本人の強靭な精神力を骨抜きにしたのが憲法9条でした。それが今日の危機を招いています。
しかし日本人のDNAには、かつての勇気と強靭な精神と助け合う共同体意識がしっかりと受け継がれていることが証明されました。それは東日本大震災や昨年の熊本地震などの被災地での被災された方々が示された冷静で秩序正しい分かち合い励まし合う姿でした。
別の機会に紹介しますが東日本大震災の時、災害派遣された自衛官のうち200名は、自分も愛する家族も自宅も津波で流されて行方不明だったのです。それでも被災者の捜索活動に従事しました。
憲法に問題があることは今や多くの国民が承知しています。こんな中、熊本で新しい動きがありました。熊本県議会が、10月3日、「本格的な憲法改正論議を国会に求める意見書」を圧倒的賛成多数で採択し、衆議院、参議院議長あてに提出したのです。この動きが全国の地方議会に広がり、国会を動かすことを願ってやみません。
今、わが国は未曽有の国難に直面しようとしています。ピンチはチャンスです。ピンチが大きければ大きいほどチャンスも大きいのです。このピンチは本来の日本人の精神と完全な独立国としての「誇り高き日本の再建」へと導くことになると確信しています。
衆議院選挙の終盤10月20日、読売新聞が行った中高生対象の世論調査で3割が北朝鮮情勢の対応に関心があると答えトップだったことは、若い世代にとって北の危機は目の前に迫る現実なのだと、産経新聞は紹介しています。野党や一部有力なマスコミが北朝鮮情勢などそっちのけで、相も変わらず「モリカケ」問題がどうの、安倍1強がどうのと低レベルで終始している中で、若者は冷静に現実を見ていることの証明ですよ。この現実的感性が時代を変えるエネルギーになることは疑う余地もありません。
来年1月号からは、
「若者よ 新しい時代の主役たれ」―新時代を拓くための課題を考えるーと題してシリーズを計画しています。
それではみなさん、良いお年をー。