校長の道徳授業

昔の日本人の愛と勇気はどこへ行った?

2017.09.15

8月号は「情けは人の為ならず」をテーマに、明治23年(1890年)の紀伊半島沖で起こったトルコの軍艦エルトゥールル号が座礁して沈没し、多くの乗員がなくなった不幸な事故のことを取り上げました。そして69名の乗員を地元の住民が命懸けで救出し、自分たちの乏しい食料などを供出して介抱したことが縁で、それから95年後の昭和60年(1985年)のイラン・イラク戦争の際、イラン国内に取り残された日本人数百人の命をトルコの民間機が飛来して救出してくれた事件を紹介しました。

この時、他の国々は自国民を素早く救出しましたが、日本だけが救出に行けなかったのです。もう一度このことを思い出してください。それは次の事情によるものでした。

<日本は「憲法9条」の規定があって自衛隊機を派遣できませんでした。そこで日本政府は、民間機に協力を要請しましたが、航空会社の従業員組合が「自衛隊もいけないような危険なところに行くのは反対」と言って応じてくれません。>(ポプラ通信8月号から)

この時、多くの日本の国民は、国民の命を守れない憲法が平和憲法なものかと、怒りました。そしてトルコの民間機が救ってくれた理由が、エルトウ―ルル号の恩返しだったことを初めて知ったのです。

昔の日本人は、貧しかったけれども、助けを求めている人がいたら命がけで助ける勇気を持っていたこと、そして、困っている人がいたら自分のことは犠牲にしても手を差し伸べる大きな愛を持っていたことを、改めて知ったのでした。

同時に、現代の日本のふがいない現実に愕然とし、昔の日本人の勇気と愛はどこへ行ったのかと、多くの心ある国民は嘆いたものでした。

もちろん一番悔しかったのは助けに行きたくてもいかせてもらえなかった自衛官の皆さんであったことは言うまでもありません。

その後、さすがにこれではまずいとなって、厳しい条件の下で、国連の平和維持活動名目での、自衛隊の海外派遣はできるようになりました。そして一昨年の、平和安全法制の整備によって、この条件が少しは緩和されました。

しかし、憲法9条の制約は原則的にそのままです。自衛隊のことは憲法には全く書かれていませんから、自衛隊違憲論が政治や憲法学者やマスコミに根強く、今でも自衛隊は他国のように国民の命を助けるための自由な行動がとれないままなのです。

昔の日本人の勇気と愛は、この憲法9条によって奪われたという意見があるのはこのような事情によるものなのです。

 今年の5月3日は日本国憲法が施行されて70年目の憲法記念日でした。この日、安倍首相は、ある民間団体の会合にビデオメッセージを寄せ、その内容が大きな反響を呼びました。それは「憲法9条の1項と2項の平和主義はそのまま残して、新たに自衛隊の存在を明記する項目を加えたいという構想でした。これによって自衛隊が憲法違反だという議論に終止符を打とうという呼びかけです。

「自衛隊は違憲かもしれないけども、何かあれば命を張って守ってくれというのは、あまりにも無責任だ」ということ、そして「今や9割を超える国民が自衛隊に信頼を寄せている」ことを力説しました。

私は、このメッセージを聞いた時、「ああ、やっとこれで昔の日本人の勇気と愛がよみがえる時が来るな」と思って、大きな感動を覚えたのでした。

憲法に自衛隊のことが一字一句書かれていない「戦後日本」の国家としての異常性こそ、世界の人々が憧れ尊敬してきた「日本人の勇気と愛」その根底にあった「武士道精神」を喪失させ、危険だからという理由で、命の危険にさらされている自国民すら助けることができない情けない日本にしてしまった原因だったのです。

ポプラ通信7月号に、政府が発表した内閣官房ホームページ上の「国民保護ポータルサイト」を紹介しました。これは特に北朝鮮からのミサイル攻撃などから国民が身を護るためにどのように行動すればよいかを示したもので、画期的なものです。

北朝鮮は7月4日には今年になって11回目となるミサイル実験を行いました。しかも大陸間弾道ミサイルだったことがわかりました。飛距離は北朝鮮からアメリカのハワイやアラスカにまで届くというのです。北朝鮮の脅威は新たな段階に入ったということです。

そして我が国への北朝鮮による核ミサイル攻撃の恫喝(どうかつ)が続いています。そういう状況の中でのポータルサイトの公表だったのです。

これはとても大事なことです。しかしもっと重要なことは、ミサイル攻撃などを未然にさせないようにすることです。「話し合い」が通じる国でないことは子供だってわかることです。ではどうしたらよいか。

それは「国を守る強い意志と万全の備え」こそが、他国からの無法な攻撃を抑止できる唯一の方法だということです。「手を出せば自分も痛い目にあうぞ」と分かるからです。しかも日本に手を出すことはアメリカも敵に回すことになる。

具体的に言うと

①国民が無法な他国からの恫喝には屈しないという態度を貫くこと。

②他国からの侵略には国を挙げて全力で抵抗するという国家の意思を政府が示すこと。

③攻撃に対する万全の備えがあること。

以上の3つです。

この3つの条件を満たす方法が一つだけあります。

それが5月3日の安倍首相のメッセージなのです。

国民投票で多くの国民が賛成して、この憲法改正案を成立させることで、①の恫喝に屈しないという国民の断固たる態度を示し、自衛隊を憲法に明記することで、②の国家の意思を示すことになり、自衛隊が憲法違反と言われなくなることで、③の万全の備えができるからです。

つまり「自衛隊を憲法に明記する」のは、戦争を未然に抑止するため、つまり日本国憲法の平和主義を守るためであって、断じて「戦争をするため」ではないということです。

しかも、9割を超える国民が自衛隊を必要だと認めています。このことは各種の調査で明らかです。認めているということは、憲法違反ではないと認識しているということです。

日本は民主国家です。北朝鮮や中国などのような独裁国家ではありません。民主国家では、国民の意思が国家の意思です。そして国家の意思は憲法に書かれていなければなりません。9割を超える国民の「自衛隊は憲法違反ではない」という意志が憲法に書かれていないことは極めて異常です。ですから「自衛隊を憲法に明記する」ことは、日本が民主国家であることを証明することになのです。

勇志国際高校は他校に先駆けて「主権者教育」に取り組んできました。今からさらに充実させていきます。この中で強調してきたことの一つは、「主権者とは、国家の意思や政治のありかたを最終的に決定する者」だということです。

国家の意思は憲法に書かれていなくてはなりません。したがって主権者たる国民にとって最も重要な権利は、「憲法を改正する権利」だということです。

平成26年に国民投票法が改正されて、18歳以上に投票権が与えられることになりました。そしてこの法律で私たち教育者も、堂々と生徒や国民に向かって、「憲法改正に賛成」と、意見を表明することが認められました。もう一度はっきりと言いましょう。

「自衛隊を憲法に明記する憲法改正」に大賛成です。

一日でも早く、国会でこの改正案が発議され国民投票が実施されることを望んでいます。

その国民投票が実施された時、世界中の注目するところとなり、その時初めて世界は自衛隊が憲法に書かれていなかったことを知り、もし万一、国民投票で否決されたなら、「日本国民は自分の国を守ることを放棄した」というメッセージを世界に発することになります。その時は次の2つのことを覚悟しなくてはなりません。

Ⅰ、アメリカとの同盟関係が崩壊する。自分の国を自分たちで守る気力すらない国をアメリカ国民が守る気になるはずがないということです。

Ⅱ、北朝鮮や中国などの日本侵略を企てている国々に、「侵略OK」のサインとなること。

その結果はどうなるか。言うまでもないでしょう。


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