<生きていることのありがたさと助け合う絆の大切さ>
今回の熊本地震で、直接被災したのは、熊本県内と大分県在住の生徒たちと教職員でしたが、被災地以外の皆さんも同じ同窓生や同僚ですから、それぞれの立場で今回の被災体験をしたと言えます。その体験から様々なことを感じ、そして多くの貴重な学びもありました。
これらの教訓は、今までのいわゆる「戦後教育」に疑問を投げかける内容であったり、これからの教育の方向性を指し示すものであったり、そして何よりも不登校などで苦しんでいる若者とこの教訓を共有することで、元気と希望を取り戻してくれる内容ではないかと思うのです。
おりしも、今年から選挙年齢が18歳に引き下げられたのに応じて、各学校では「主権者教育」が本格的にスタートします。この主権者教育にも通じる内容だなと感じました。
そこで、本年になってこのコーナーでは、「主権者教育」をテーマに連載してきましたが、しばらくの間変更して、5月の「特別号」で書いた「被災地の学校となって思うこと」を、さらに掘り下げていきたいと思います。
生徒の皆さんの感想文なども適宜紹介していきます。
被災した生徒や教職員は、この地震で初めて死の恐怖を経験しました。そして、生きていることのありがたさをしみじみと実感しました。
同時に、家族や近所同士の助け合いや、そして仲間たちや多くの国民の方々からの励ましや支援をいただいて、人と人との絆がいかにありがたいかを改めて実感したことと思います。
まずは、生徒たちの体験を、感想文から紹介しましょう。
1年女子 K・Hさん 熊本市中央区在住
2016年4月14日午後21時26分に熊本で震度7という大地震が起こりました。
熊本は大地震などは来ない…熊本に住んでいる人たちは大抵そう思っていたと思います。
私もそう思っていました。
なので地震発生時もいつもと同じ生活をしていました。普通にお風呂に入って、普通にご飯を食べて、家族と話をして…、当たり前だと思っていた日常は一瞬にして壊れました。
私は母と話をしている時に1回目の大地震を経験しました。あんなに強い揺れは生まれて初めてで、家の中の物が倒れたり落ちたり、本当に怖くて私は母と小さい弟にとっさに抱きつきました。
母もとても震えていてまだ小さい弟も私に抱きついて震えていました。
強い地震が一度おさまった間に、母と私で急いで着替えや必ずいるものをカバンやリュックに詰めこみました。
そしてすぐ近くの避難所に向かいました。
避難所でも沢山の人たちが泣いていたり震えていたりしていました。
その状況を見ていて、もっと地震に対しての恐怖心が自分の中で出ました。
その後も、何日間も避難所にいていざ家に帰ると、家の中がグチャグチャで大変でした。
1年女子 Ⅰ・Kさん 阿蘇在住
私は絶対熊本に地震が来るとは思っていませんでした。毎日平和で夕方になれば夕ご飯、家族との会話や楽しい生活。でもある日、突然おとずれてしまいました。車に乗ってて家族とくだらない会話をしているとビービーと大きな警報が鳴り響きました。何かの間違いだろうとテレビをつけると顔が真っ青になりました。熊本・九州全体が大きく揺れているのです。東日本大震災があり、あんまり、地震起きたことないし、来ないよねと油断していました。
避難所に行くと、人と人が助け合いながら生活していました。怖いなと思っていた人がとても優しくて誰もが思いやりもありうれしい気持ちになりました。
今から先、困ってつまずいたり、手助けが必要な時は、老人やいろんな人たちを、この小さな手で支えていきたいと思います。
1年男子 Y・K君 熊本市東区
備えあれば患いなしというが、いざという時に備えている人がどれくらいいるのだろうか。前震があった次の日、私の母親は、「もうあれほど大きな揺れは来ないだろう」と言いながらも、風呂に水を溜め、倒れそうなものや棚を床に倒し、壁にかけていたものを床に置き、いつでも逃げられるようにと台所に靴を置いたりしていた。本震が来る前の私は、「言ってることとやってることが全然違うじゃん。そんなに準備しなくても大丈夫だろうに…」なんて考えていたが、後日それが大きく役に立ったのだった。大丈夫なんてなんで決めつけられたのだろうか。やっぱり母はすごいと、馬鹿みたいだが本当にそう思った。
日ごろから備えているのは大変だが、最低限の備えは必要だということ、地震や戦争、なんでもそうだが、一度終わったからと言って何の備えもしない、予防策を考えないというのは危険なことだということ、いつ何が起こっても冷静でいられる心構えが重要であるということが、今回の地震によって深く心に刻まれた。この地震のこと、それによって学べたことは決して忘れない。
今回は、1年生3名の感想文を紹介しました。ほかの感想文にも共通しているのは、死の恐怖に直面した時、生きていることのありがたさを感じたということです。
人の命は、ご先祖様から代々受け継がれてきた尊い命です。その尊い命が、危機に直面した時、とっさに防御本能が働いて身を守ろうとします。そして助かったとき、生きていることのありがたさを実感するのです。
生きているという当たり前のことが、なんとありがたいことか。そのことへの感謝が、生きていくための基本だったのです。
尊い命ですから、充実した生き方をしていかなければなりません。生徒たちの感想文に共通しているもう一つのことは、助け合う絆の大切さでしたね。
I・Kさんが、
「避難所に行くと、人と人が助け合いながら生活していました。怖いなと思っていた人がとても優しくて誰もが思いやりもありうれしい気持ちになりました。」
と書いていますね。
東日本大震災の時も、阪神淡路大震災の時も、被災者同士が極限状態の中で助け合う光景がテレビで流れ、世界中の人々を感動させました。日本人の素晴らしさが、熊本地震でも随所で表れました。いつもあまり話すこともなかった近所の人たちがお互い気遣って声を掛け合っていた情景が随所で見られました。
そして、助け合う時、Ⅰ・Kさんが「うれしい気持ち」になったように、みんなが幸せを感じるのです。
人間は一人では生きていけません。家族や地域、学校や職場、そして国民同士が絆で結ばれて助け合い分かち合ってこそ生きていけるということを、被災体験で改めて感じたのです。そしてI.Kさんは、
「今から先、手助けが必要な人たちを、この小さな手で支えていきたい」
と思ったのです。
甚大な被害を代償に、助け合い分かち合う生き方こそ、最も充実した生き方なのだということが分かったことは、とても素晴らしいことだと思います。
「分かち合えば、悲しみや苦しみは小さくなり、喜びや幸せは大きくなる」ことを、実感しながら人生を歩んでいく。それこそが、「共同体」と共に生きる日本人の理想の生き方だったのです。
野田将晴