校長の道徳授業

有権者となる皆さんへ 4

2016.04.10

新たに勇志の仲間となった皆さんへ~「君は国の宝、勇志の誇り」

 

開校12年目となる平成28年度の新学期が始まりました。

新入生、転編入生の皆さん、ようこそ勇志へ!!

私たち教職員はもちろん、在校生一同も皆さんを心から歓迎しています。楽しく有意義な高校生活を共にしていきましょう。

さて、今日は新しく仲間になった皆さんへ、勇志の標語である「君は国の宝、勇志の誇り」というテーマでお話をしたいと思います。

 私たち教職員は、毎年、スクーリングが始まる前の5月、1泊2日の研修旅行をさせていただいています。昨年は京都に行きました。京都御所を見学しましたが、その話から始めたいと思います。

<京都御所(ごしょ)

 天皇陛下は、東京の皇居にお住まいになっていますが、それは明治時代になってからのことで、それまでは京都御所がお住まいでした。今の皇居は、江戸時代、徳川将軍家のお城だったことは皆さんも知っていると思います。ですからお堀と高い城壁(じょうへき)に囲まれています。それは敵から徳川家を守る為でした。

 しかし、京都御所にはお堀も城壁もありません。低い土塀(どべい)があるだけです。ここが本来の天皇陛下の御住まいなのです。

 世界の国王や皇帝などと言われる人々は、例外なく、堅固で高い城壁などに守られたお城に住んでいました。京都御所のように攻めようと思えば簡単に攻められるような物騒なところに住んでいた「権力者」は一人もいません。

 日本の天皇陛下だけが2000年以上もの長い間、まったく無防備の「御所」に住んで無事だったのは何故でしょうか。その答えこそ、私たちの祖国日本の世界に誇る素晴らしい国柄なのです。

 その答えは「日本の天皇には敵がいない」から防備の必要がないのです。なぜ敵がいないかというと、天皇陛下は国民一人ひとりの幸せを祈っていてくださる御存在だからです。3月号では、日本の民主主義は1万数千年前の縄文時代に培われ、歴代天皇様によって守られ受け継がれてきた日本の伝統精神そのものだったことを学びました。

日本という国は、民(国民一人ひとり)がすべての元の元で「大御宝」であって、政治は民の幸せのためにあるという精神からはじまったのでした。そしてその精神をもとにしてすべてのことをみんなで話し合って決めるのが伝統でした。それこそが輸入ではない本当の民主主義だったのです。その中心が「絶対無私の天皇陛下」の御存在です。これが我が国の国柄なのです。

天皇陛下は、すべての人々を宏(こう)大無辺(だいむへん)(広く大きく果てのないこと)のお心と愛情で包みこまれていますから、敵になるものがいません。歴史の中で大きな権力を手中にしたリーダーはたくさんいました。しかし御所を攻めて自分が天皇になろうというものは一人もいなかったのです。

 今上(きんじょう)陛下(へいか)(今の天皇陛下のこと)は第125代です。歴代の天皇陛下は等しく「民安(たみやす)かれ国安(くにやす)かれ」(国民が幸せで国が平和であるように)と祈り行動されてこられました。今日は、その中で第16代の仁徳天皇(にんとくてんのう)さまの話をしたいと思います。この話は日本最古の歴史書である古事記(こじき)と日本書紀(しょき)に出ています。

仁徳天皇(にんとくてんのう)>(313~399)

 仁徳天皇が第16代の天皇にご即位(そくい)(天皇の位につくこと)になって4年目の春のことです。

「高い所にのぼって四方を見るが、炊煙(すいえん)(煮炊きをする煙)が立っていない。これは国民が貧しいためではないだろうか。都に近い所でこうなのだから遠いところはもっとひどいのだろうと思う」

と仰せになって、3年間の税金や労役(ろうえき)を免除されました。

御所は荒れ、雨漏りで衣類や布団まで濡れ、寒い冬も風は御所の中まで吹きさらし、破れた屋根からは星空が見える始末。塀(へい)の崩れたところからは天皇さまの寝所(しんじょ)の明かりも見えるありさまでした。

3年がたって、再び天皇さまが高い所にお上りになって四方をご覧になりました。その時には家々から炊煙が盛んに立ち上っていました。それをご覧になった天皇さまはたいそうお喜びになって

「よかった。よかった。これで私はもう豊かになった」

と仰せになりました。怪訝(けげん)に思われた皇后さまが

「何をもって豊かになったと仰せになるのですか」

とお尋ねになりました。仁徳天皇は、

「あの炊煙である。人々が豊かになったということである。天皇とは、国民を以て元としなければならない。歴代の天皇は、国民のうち一人でも凍(こご)える者がいれば自分の徳が足らないことを責めた。国民が貧しいならば、それは私が貧しいということと同じである。反対に国民が豊かであるならばそれは私が豊かということである」

とお答えになりました。

国民は、荒れ放題の御所を見て大変申し訳なく思い、自分たちが豊かになれたのは天皇さまのおかげです。税金も労役もどうか復活してくださいと申し出ましたが、天皇さまはなかなかお許しになりませんでした。

さらに3年がたって、やっと課税と御所の修復工事をお許しになりました。

その時の国民の喜びにあふれた働きぶりは日本書紀に次のように書かれています。

「ここにおいて百姓(ひゃくしょう)(国民のこと)促(うなが)されずして、老を扶(たす)け幼を携(たずさ)えて、材を運び簣(き)(土を運ぶ竹の籠)を負い、昼夜と問わずして力を尽して競い作る」

この時のことを後の人が詠んだ有名な歌がこれです。

「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎわひにけり」

<「和の国」日本の心>

 この物語でわかるように日本の天皇陛下のお心は常に国民とともにあって国民一人ひとりの幸せを祈るご存在なのです。それは今上天皇陛下も同じです。阪神淡路大震災の時もそうでしたし、東日本大震災の時もそうでした。いち早く被災地をお訪ねになり、被災者の方々と一人ひとりひざまずいて、お励ましになりましたね。天皇様はお膝がお悪くあられたそうですが痛さなどおくびにも出されませんでしたし、皇后様は夜もおやすみになられないほど首が痛かったそうですが、一人ひとりと首をかしげられて励ましていただきました。お付の人は胸が張り裂けそうだったそうです。

 このような天皇陛下がお示しいただいている自分のことより人のことを優先する生き方こそ、日本の心なのです。そしてそういう生き方こそが本当に幸せな生き方だということを、私たちのご先祖様は体験的に知っておられたのです。

このような生き方から絆が生まれます。自分中心の生き方から絆は生まれません。絆というのは人と人との分かち合いの関係です。分かち合えば、大きな悲しみでも小さくなり、小さな喜びは大きくなるのです。私たち日本人は、天皇陛下が悲しみも喜びも分かち合って下さっているのです。

 日本は「和の国」といわれますが、「和の国」とは、「一人ひとりが自由に振る舞い、なおかつ全体として統制がとれている。これら二つの併存(へいぞん)という、世界的にみても極めて困難なことを実現している稀有(けう)な国」(竹田恒㤗著「日本人の原点がわかる国体の授業」より)なのです。

<君は国の宝、勇志の誇り>

 国民一人ひとりは国の元であり大(おお)御宝(みたから)というのが日本の国の建国の精神でした。ですから君たち一人ひとりは「国の宝」です。

 そして国の宝である君たちは、私たち勇志国際高校の教職員にとってはこの上ない「誇り」なのです。

 学校の使命は、国の宝である皆さん一人ひとりを日本のために役に立つ人材に育てることです。そして皆さん一人ひとりはその資質の塊なのです。

 


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