~国について考えよう~
1、有権者になるというは、国の主権者になるということです。
それは日本が国民主権のシステムを採用しているからです。主権というのは、国家の意思や政治のありかたを最終的に決定する権利(広辞林)のことです。国民の主権は選挙などによって行使され、選挙で選ばれた議員や首長が、国民や住民を代表して実際の主権の行使が行われる仕組みになっています。これを議会制民主主義と言います。
天皇陛下は、日本国憲法第1条に
「天皇は、日本国の象徴(しょうちょう)であり日本国民統合の象徴(しょうちょう)であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
とあります。ですから国民が主権者だから天皇は象徴であって主権者ではないということではありません。日本では天皇と国民は一体であると考えられてきましたし、今も、そして今からもそうです。国民が主権者なら天皇も主権者です。戦前も同じでした。天皇主権でしたが同時に国民も主権者だったのです。
そもそも天皇主権か国民主権かという議論は日本ではあてはまりません。それは天皇と国民を対立した立場と考える西洋的な発想に立っていますが、日本では先述した通り天皇と国民は一体なのであって、決して対立した存在などではないのです。
その証拠に、法律は国会がその内容を決定しますが、その法律を公布するのは天皇です。法律は国会で成立しても公布しなければ効果は発揮しません。成立しそれが公布されて、国民がその内容を知ってこそ効果が発揮できるのですからね。これは戦前の明治憲法の下でも同じでした。天皇が国策を決定されることはありませんでした。ただ1回だけ、昭和20年8月10日の御前会議で、戦争継続か終戦かで意見が2分したとき、鈴木首相の要請で昭和天皇陛下が終戦の御聖断(ごせいだん)をお下しなって決定した時だけです。ですから戦前は天皇主権でしたが実質的には国民主権でもあったのです。ここが諸外国と日本が違うところなのです。
2、今回は皆さんが主権者となって直接的に責任と義務を与えられることになる「国」という存在について考えてみましょう。
ふつう私たちが「国」という場合2つの意味で使っています。一つは「共同体としての国」(ネイション)であり、もう一つは「統治(とうち)機構(きこう)(政府)としての国」(ステイト)です。しかしこの2つは明らかに違う別物です。共同体としての日本国は、2676年前の2月11日に建国された世界で最も古い歴史と伝統ある国家です。統治機構としての国は「政府」のことを指します。ですから時の「政府」は国民が選挙で選んだ結果ですが、「共同体としての日本国」は、二千六百年以上も前に自然発生的に生まれたのです。ここが他の国と違うところです。他の多くの国は、権力者(国王など)と国民は対立した関係にあって、革命などで国民が主権者を倒して国民の政府を作ったり、国民の権利を国王に認めさせたりして作った政府などですから、日本が自然発生的に誕生した国であるのと比較して「国民や国王との間で、または国民と国民の間で契約(けいやく)して誕生した国つまり「契約国家」という分類になります。
3、国家にはいろいろな形がある
今、世界に200近くの国がありますが、それぞれが独自の歴史や成り立ち、そして個性があります。ですから200の国があれば200の違う個性とシステムの国がある。
例えば、アメリカ合衆国は、1776年にイギリスから独立して誕生した、50の州からなる連邦共和国で、独立戦争で勝ち取った「自由」を国家の精神的な柱にした議会制民主主義の国ですね。
フランスは、1789年に、フランス革命が始まった年に建国されました。ですから革命で国民が国王から勝ち取った「自由」「平等」「博愛」を国の柱とした議会制民主主義の国ですね。そして両国とも大統領が国家元首で、選挙で選ばれます。
イギリスは、正式国名は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」といいます。1066年、ウイリアム1世によって建国され、国王を国家元首とした議会制民主主義の国ですが、主権は国民ではなく国王(エリザベス女王)にあります。成文憲法(文章で書かれた憲法)はありません。歴史の中で培われてきた慣習法で運営されています。大統領はいなくて首相が政治の責任者になります。この点は日本と同じですね。
中華人民共和国は、1949年、中国共産党が中国国民党との内戦に勝利して誕生した国で、共産党独裁(どくさい)の共産主義の国であって、民主主義の国ではありません。ですから国民の自由も大幅に制限されています。政府の批判などはもちろん許されません。
4、日本は天皇を中心にいただく世界最古の歴史を持つ国
では日本はどのような国なのでしょうか。
2月11日は、日本の国が誕生した建国記念の日です。紀元前660年に建国されましたから、今年は2676年目となります。もちろん世界で断トツに長い歴史を誇ります。
日本を建国されたのは第1代神武(じんむ)天皇(てんのう)です。今上(きんじょう)天皇(てんのう)(現在の天皇陛下のこと)は125代に当たられます。
日本最古の歴史書である古事記(こじき)と日本書紀(しょき)によると、日本の建国の物語は次の通りです。
神武天皇によって統一した国になる前の我が国は、いくつもの部族に分かれてお互いに争っている状態でした。カムヤマトイワレヒコノミコト(のちの神武天皇)は大変な苦難を乗り越えて、国家統一を成し遂げられました。奈良県の橿原(かしはら)に都を定められ、第1代の天皇に即位されたことを宣言されました。「建国(けんこく)即位(そくい)の詔(みことのり)」がそれですが、その中に建国の理想と精神が示されています。そして2676年の間、一貫してわが国はその精神をもとにして歩んできたのです。ですから私たち日本人は意識していなくても、DNAの中にしっかりとその精神が受け継がれています。東日本大震災で甦った(よみがえった)のは正にその日本人の基本的な精神でした。
建国(けんこく)即位(そくい)の詔(みことのり)で示されている精神とはどういうものでしょうか。
一つは、神武(じんむ)天皇(てんのう)が国民のことを「元の元」と書いて「大(おお)御宝(みたから)」と表現されている点です。これを「国民本位の精神」と言います。これが日本型民主主義の基礎です。
さらに日本は軍事力や経済力で治めていく国ではなく「徳の高さ」で治めていく国だと宣言してあります。歴代天皇は正にその徳(ご聖徳)の高さで国民の深い尊敬を集めてこられました。
そして日本の国は外に向かっては「道義(どうぎ)」を実現する国であるとうたわれています。道義とは人の行うべき正しい道という意味です。徳を積み道義を広めたのちに、全ての国の人々が一つ屋根の下で家族のように暮らせる世界にしようという世界連邦構想とでもいうべき国家としての理想が示されています。
この精神が、日本の国民を一つにまとめてきたのです。この建国の精神を一言で言うと「和」です。「和」というのは「自分のことを後回しにする精神」(竹田恒(つね)㤗(やす)氏)です。この精神が人間にとって最も幸せな生き方であることを、私たち日本人のご先祖様たちは知っておられたのです。
「和の国」というのは、一人ひとりの個性が尊重され、自分らしく暮らせる国のことで、しかも全体として統率が取れている国だとも、竹田氏は述べておられます。国民の自由と全体の統率が調和しているという、世界でもまことに珍しい国が日本なのです。
そしてその国民を統合している「和の精神」を象徴(しょうちょう)していらっしゃるのが天皇なのです。象徴(しょうちょう)というのは、形のないものを形のあるものが表すことです。天皇陛下を見れば日本が分かるし、日本の国民を結びつけている「和の心」が分かるということ、それが憲法第1条の「天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴である」という意味です。
有権者となる皆さんは、そのような世界に誇る素晴らしい国日本の主権者になるのです。