「真実はこうだ!」-特別編<その2>
―憲法改正の是非を問う日が来たー
内容―米国製憲法がかくして作られ押し付けられた!!
先月の授業で、日本国憲法は日本国民によって作られたものではなくアメリカ軍によってわずか6日間で、しかも英文で起草され、この草案を受け入れなければ天皇陛下のお身柄は保証できないと脅され、仕方なく断腸の思いで受け入れた憲法であったことを勉強しました。 皆さんはさぞかしショックだったと思います。しかしこれが歴史の真実なのです。
今回の授業では、そのマッカーサー草案作成に当たってのホイットニー民政局長が民生局員に草案作成を命令する場面と、その完成した草案を日本側に提示し、受け入れるよう強要する場面を「勇志号」で案内し、最後は重宗雄三元貴族院議員の証言を紹介したいと思います。
「勇志号」は、勇志の生徒だけが乗れる架空のタイムマシーンです。瞬時にどこへでも、そして過去未来どの時代へもいけるという便利な乗り物です。
「勇志号」出発進行!
行き先は、昭和21年2月4日、場所はGHQ(連合国最高司令官総司令部)民生局の1室。皇居に面した第1生命ビルが占領軍に接収されてGHQになっています。
前日、マッカーサー最高司令官から憲法改正草案の作成を命じられたホイットニー民政局長が、今から民生局の憲法制定会議のメンバー21人を集めて、草案作成作業を命じるところです。まずはホイットニー局長の話を聞きましょう。勇志号が現代の日本語に同時通訳してくれますから心配いらないよ。
「諸君!これはまさに歴史的な機会である。私は今、諸君に対して憲法制定会議の開会を宣言する。これからの1週間は、民生局は憲法制定会議の役割を果たすことになる。
今の日本における最も緊急の問題は、憲法制定である。日本側によって準備された草案は、全く不満足なもので、最高司令官はあたらしい憲法を起草するという歴史的仕事を民生局に委託された。日本側の意表を突き、彼らが効果的な反抗を企てることができないよう、極度の迅速さと機密が要求される。
私は総司令官が、我が民生局にこのように短期間に憲法を起草する能力があると考えておられる事実に、限りない喜びを感ずる。
私は、憲法起草に際して遵守されるべき原則について、最高司令官に指示をお願いし、3原則を示していただいた。後はすべて民生局の判断に任せるといわれた。
私は2月12日までに民生局案が完成し最高司令官の承認を受けることを希望する。2月12日に、私は日本の外務大臣その他の係官と、日本側の憲法草案についてオフレコの会議を開くことになっている。
自分は、その場所で、民生局案を提示し、それを受け入れさせたいと考えている。
私は説得を通じてこういう結論に達したいと希望しているが、説得の道が不可能なときは、力を使用すると伝えるだけでなく、力を使用する権限を最高司令官から与えられている」
説明はいりませんね。要するに、日本のあたらしい憲法を21名で1週間でつくれ。その上で日本に対して力ずくでこれを受けさせるから…」という訳です。
そして6日後の2月10日には草案は完成し、マッカーサーの承認を得た2月13日午前10時、外務大臣官邸で、日本側と米側の会見となりました。
「勇志号」はそちらへ移動しますよ。
ここが外務大臣応接室です。日光がまともにあたる位置に、日本の吉田茂外務大臣、隣に松本烝治憲法問題担当国務大臣、その隣に白洲次郎終戦連絡事務局次長と長谷川通訳官が座っていますね。
向かい合って日光を背に受ける位置に、ホイットニー民政局長、ケーディス大佐、ラウエル中佐、ハッシー中佐が座りました。
米側は、GHQ草案を日本側に渡し、十分な理解がなされるために、しばらく退席しますといって、庭に出ました。
日本側は顔面蒼白です。
米軍機が官邸の上空をかすめるように爆音を立てて飛び去っていきましたね。計画的に無言の圧力をかけているのです。
15分ほどたちました。白洲次長が庭に出ました。ホイットニーは彼の顔を見るなり
「我々は戸外に出て原子力エネルギーの暖を取っているところです」
原爆2発も落として一般人を何十万人も殺戮した米軍が言う言葉ですか。完全に脅しです。まるで暴力団ではありませんか。
しばらくたって、ホイットニーの一行は、部屋に戻ってきました。席に着くなり、日本側は提出していた憲法改正の草案(松本案)について説明しようとしています。
しかしそれを手で遮ってホイットニーが話し始めました。完全無視です。
「最高司令官は、天皇を戦争犯罪者として取り調べるべきだという他国からの圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持されている。だが最高司令官といえども万能ではない。ただ、最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け入れられるならば、天皇は安泰になると考えておられる。さらに最高司令官は、これを受け入れることによって、日本が連合国の管理から自由になる日がずっと早くなるだろうと考えておられる。この草案を採用しない限り天皇のお身柄を保証することはできない。」
聞いている吉田外務大臣はじめ日本側メンバーの顔面は極度の緊張で蒼白です。このマッカーサー草案を受諾しないと天皇陛下のお命を保証しないというのですから、当然です。
「最高司令官は、この草案が最高司令官の完全な支持を受けた案として国民に示されてもよい旨を伝えるよう、指示されました。もしあなた方がそうされなければ、自分でそれを行うつもりでおります。」
要するに、このマッカーサー案を日本政府の案として国民に発表しろ。さもなくば政府の頭越しに直接マッカーサーがやるぞ。そして最高司令官は今後現政府を支持しないぞ、という訳です。
皆さん。こうして日本国憲法は、米軍が作った草案を脅迫のもとに、しかも国家として主権を与えられていない占領期に、そして占領軍の思惑通りに、日本政府が「明治憲法の改正案」として衆議院および貴族院(今の参議院)に提案し、可決され成立するという手続きを踏んで成立しました。
これを以て日本国民が自主的に作った憲法といえるでしょうか。
では、帝国議会(今の国会)での審議はどんな雰囲気だったのでしょうか。それについては、当時の貴族院議員でその後参議院議長をされた重宗雄三さんの証言を紹介して、今日の授業を終わりましょう。
「今の憲法は案が貴族院に回ってきたとき、こんな憲法を断じて通すべきでないと思った。しかし正面から反対を唱えるわけにはゆかない。だったらできるだけ時間を引き延ばして、審議未了で廃案にしてしまうほかない。という訳で時間を一所懸命引き延ばしておった。いよいよ最後の日の午後の12時5分前になってきた。もう5分頑張って引き延ばしたら廃案になるというその12時5分前になったら帝国議会のすべての時計が止まってしまった。審議をいくら引き延ばそうが、何時までたっても12時にはならぬ。やむを得ず通過させてしまった」