「真実はこうだ!」-特別編<その1>
-憲法改正の是非を問う日が来た―
内容―日本国憲法はアメリカ製押しつけ憲法だった!!
1、国民投票法が成立した
(1)国民投票法はどういう法律?
平成26年6月13日、憲法改正に必要な国民投票の具体的進め方を決めた国民投票法(日本国憲法の改正手続きに関する法律)が国会で成立しました。4年後には投票できる年齢が18歳以上に引き下げられることになりました。
また政府の考えでは、4年後を待たず2年後にも他の選挙の投票権と共に憲法改正の国民投票権も18歳に引き下げることを検討するそうです。
そして、2年後の第1回目の国民投票を皮切りに、毎年1回の国民投票を実施して、5年くらいかけて少しづつ改正していくという計画のようです。
そうなると高校生の君たちはもちろんのこと、今11歳の小学生も、7年後の国民投票では憲法改正に賛成か反対かの投票をすることになるわけです。ですから学校としては、憲法に対する正しい知識を児童や生徒の皆さんに提供する義務があるということになりますね。
この国民投票法の成立を受けて、「ポプラ通信」の「真実はこうだ!」シリーズの「東京裁判」の連載を、「特別編;憲法改正の是非を問う日が来た」というテーマに一時変更して、数回にわたって正しい憲法の知識を知ってもらうことにしました。
2、憲法制定の隠された歴史の真実
そもそもこの憲法は誰が作ったのか。憲法制定をめぐる歴史の真実を探ってみましょう。
(1)国民が反省の上に立って作った憲法だったという「嘘」
皆さんは、日本の憲法だから日本国民が作った憲法だと思っているでしょう?
「日本が戦争に負けてその反省の上に立って作った憲法なのに、それを変えるなんておかしいよ」
「憲法改正?また戦前に戻って戦争するということじゃないの。そんなの許せない」
そう思った人、手をあげて。
ほとんどの手が上がりましたね。
実は、この憲法は日本人が作ったのではありません。そのように長い間思い込まされてきただけなのです。自分の国の憲法を自分たちで作っていないなんて国は、世界に一つもありません。日本だけです。
(2)今の憲法は旧憲法(明治憲法)の改正手続きに則って作られた?
日本には、明治22年に発布(国民に示された)された憲法がありました。正式な名称は『大日本帝国憲法』といい通称「明治憲法」といいます。これは明治の先人たちが苦労して、諸外国の憲法を研究し、日本の歴史と伝統、国柄などを基本にして作り上げた世界に誇る立派な憲法でした。
今の憲法(日本国憲法)は、大東亜戦争に日本が負けて、米軍を中心とする占領軍によって軍事占領が始まってすぐ作られた憲法です。もともと明治憲法があったのですから、この明治憲法を全部否定して、全く新しい憲法をつくることは、法治国家の根本を否定することになりますから絶対にできません。
したがって、今の憲法も、明治憲法第73条の「改正手続き」に則って改正されたことになっています。
しかし、この73条には、部分的な条項改正しか認められていません。つまり、例えば、歯医者さんに行って虫歯を抜いて義歯を入れることはいいとなっていたわけです。
ところが、明治憲法の改正案として出された今の憲法は、明治憲法とは全く違う内容の憲法でした。つまり、義歯どころか、患者さんを殺してしまって、別の人を連れてきて、「はい、治療しました」というに等しいことだったのです。
全く違う憲法をもってきて明治憲法を改正した憲法だと言ってごまかしているのです。国の根本法である憲法がその成立そのものに、重大な「嘘」があるということです。
(3)「あたらしい憲法のはなし」で日本人が思考停止に陥った
ではなぜ、こんな重大なごまかしが何らの疑念も持たれずにまかり通ってきたのでしょうか。
現憲法制定後の中学の社会科教科書に「あたらしい憲法のはなし」として次のような文章が出ていました。
「これまであった憲法は、明治22年にできたもので、これは明治天皇がお作りになって、国民に与えられたものです。しかし、今度のあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由に作られたものであります」
国民は、この「あたらしい憲法のはなし」を信じて、思考停止に陥って、敗戦の反省の上に立って自分たちが作った理想的な内容の憲法だと思い込んできました。明治憲法があったから日本は侵略戦争を起こしたのだとも思わされてきましたから、多少の手続き的なおかしいところがあっても仕方がないと思ってきたのです。
しかし皆さん、この「あたらしい憲法のはなし」は真っ赤な嘘だったのです。
(4)「国民がじぶんで作った」という「嘘」
GHQの最高司令官マッカーサーは、日本の占領政策を進めるにあたって、まず「憲法」を根本から変えてしまわないと、日本を弱体化するというその目的を果たせないと考えました。
そこでGHQの民政局長ホイットニーに命じて新しい日本の憲法の草案を作らせることにしました。
ホイットニーは、部下21人に草案作りを命じ、わずか6日間でその草案は完成しました。21人のメンバーには日本研究の専門家はおろか憲法の専門家すら一人もいません。いわば素人集団が、大急ぎでマッカーサー・ノートといわれる草案作りの根本方針に合わせて、英文で作ったのです。
これが歴史の真実であって、「日本国憲法」は「日本国民がじぶんでつくった」なんて、とんでもない「嘘」なのです。
(5)「日本国民ぜんたいの意見で、自由に作られた」という「嘘」
まず、考えてほしいのは、この時代は、日本は軍事占領されていましたから、国家主権が与えられていませんでした。ですから自由に何かを作ったり決めたりすることはできなかったのです。憲法だけ国民が全体の意見で自由に決めることなどできるはずがないではありませんか。
自由に作ったどころか事実はその逆で、アメリカ軍が作った草案を押し付けられたのです。
日本政府は、GHQの意向を受けて、甲乙2種類の「明治憲法改正案」を作ってGHQに提案したのですが、それは全く無視されたうえで、先述のGHQが作成した「マッカーサー草案」を渡され、これを受諾(受け入れること)しないなら、天皇陛下のお身柄(お命)は保証できないと脅迫されたのです。
天皇陛下に害が及ぶことになったら、日本が日本でなくなるわけですから、日本政府は断腸の思いでこれを受け入れるしかなかったのです。
「あたらしい憲法のはなし」を書かせたのはマッカーサーであることは間違いありません。なぜなら、この憲法を作ったのがアメリカの占領軍であり、日本国民を代表する政府を脅迫して押し付けたということがばれると、国際法にも、降伏文書にも違反しているし、旧憲法を改正して成立した憲法という建前もすべて嘘と分かって、アメリカの占領政策が成り立たなくなるからです。
日本国民は、その「大ウソ」に68年間も騙され続けてきたのです。
次回は、「勇志号」に乗ってその憲法制定の歴史的な現場を目撃してみようではありませんか。
お楽しみに!