平成23年3月11日という日は、日本人にとって永遠に忘れられない日になることでしょう。言うまでもありませんね。東日本大震災が日本列島を襲った日として、です。1000年に一度といわれるマグニチュード9.0の大地震に加え、その直後に東北から関東にかけての太平洋岸を巨大津波が襲いかかり、万単位の犠牲者と数十万単位の被災者、そしてたくさんの町が壊滅するなどの未曾有の被害がでました。福島第1原子力発電所も津波が襲い、全世界を恐怖に陥れました。
今後、復興への長い道のりが待っていますが、ピンチはチャンスでもあります。ピンチが大きければチャンスもまた大きいのです。あの巨大地震と巨大津波の被害から日本人は雄雄しく立ち上がり、日本人が本来持っていた美しくたくましい心を取り戻して、再び世界中から尊敬され賞賛される国家を再建したと、将来の歴史家が評価する時代が必ずやってくると確信しています。
さて、阪神淡路大震災のときもそうでしたが、今回も世界中の人々が、これだけの災害に直面しながらも、被災地の人々が、冷静で、秩序正しく、お互いに助け合い、分かち合い、譲り合い、励ましあう姿に、感動し賞賛しましたね。アメリカの日本研究の専門家マイケル・オースリン氏は「日本人がこうした状況下で米国でのように略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性だ」(産経新聞)と、賞賛しています。
この被災地で繰り広げられた光景の中に、「道徳とは何か」という命題に対する回答があります。私たちは、法治国家に住んでいます。ですから法律によって私たちの生命や身体、財産や自由などが保障されています。同時に国民としての義務もまた法律によって与えられています。法律を守らなければ処罰されることは言うまでもありません。
では法律さえ守っていれば私たちの社会は健全に維持できるかというと、そうではありません。被災地のことを考えてみましょう。私たち国民はもとより外国の人々が感動した「被災地の日本人」のあの姿を思い出してください。
・奇跡的に9日ぶりに瓦礫の下から救出された16歳の安部 任(じん)君が、救出した警察官がお菓子と水を渡そうとすると、それを断って、瓦礫の下にいるおばあさんを早く助けてと頼み、大丈夫だよという警察官に「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言う姿。
・50本のバナナを100人で分け合って飢えをしのぐ人々の姿。極限状態の中にありながら、テレビに向かって国民の支援に感謝の言葉を言う姿。
・家族や家をなくしたであろう小学生たちが、「肩たたき隊」と称して、グループで避難所のお年寄りの肩をたたいて巡回する姿。
・さぞかし空腹であろうに、自分のことは後にして避難民の皆さんにおにぎりを配っている中学生や高校生の姿。
・目の前で愛する家族が津波に飲み込まれた過酷な経験を語りつつ、自分はまだ良いほうですと、他を気遣う姿。
・自ら志願して、原子力発電所の放水に従事するために、死地へ赴く自衛隊や消防や警察の皆さんの姿。アメリカの人々から英雄として賞賛された原発事故の現場で被曝覚悟で作業に当たっている東京電力の作業員の姿。
これらの行為は法律で決められていることではありません。ですから自分勝手に振舞っても、支援物資を受け取るために長蛇の列に並ばずに我先にと殺到しても、地震で帰宅できなくなった人々が、駅の階段の真ん中を他の人が通りやすいようにと空けて座らなくても、危険な場所には行かないと現場の作業を拒否しても、法律で処罰されることはありません。
しかしそうはしない日本人の姿に世界中の人々が感動し賞賛するのはなぜでしょうか。同じくアメリカのジョージタウン大学のケビン教授は「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた」(同紙)と述べていますが、まさに日本人の精神の中に脈々と受け継がれてきた「道徳心」の尊さをあの姿の中に見たからです。
人間社会は、法律だけでは秩序を保てないのです。法律にはないけれど、人間として守らなければならない規範があるということです。その規範を「道徳」というのです。日本人は長い歴史の中で他に類を見ない高い道徳性を精神文化として築いてきました。第2次世界大戦後、これらの精神文化は徒に否定され、廃れてきたと危惧されていましたが、生きるか死ぬかという極限状態の中に置かれたとき、それは確実に蘇ったのです。先のケビン教授は続けて「日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変らないのだと今回、思わされた」と述べていますが、教授が言う「文化の核の部分」こそが道徳なのです。
さらに同教授は「近年の日本は若者の引きこもりなど、後ろ向きの傾向が表面にでていたが、震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予感させる」とも述べています。
冒頭、ピンチはチャンスと書きました。この未曾有の大ピンチは、外国の人々が「予感」したように、戦後の65年間で希薄になり将来の消滅さえ危惧されていた「本来の日本文化」を復活させ、それに基づく新しい「国家国民としての新しい目的意識(目標)」を持つ輝かしい日本再生のビッグチャンスなのだということを私たちは肝に銘じなければならないと思います。それこそがこの大災害による多くの犠牲や甚大な被害を無駄にしない唯一の選択肢だと思います。そしてそれは日本文化の核である道徳の復活から始まるのです。
わが国には、高校生のための道徳のテキストがありません。今回から連載するこのコーナーは、勇志国際高校で学ぶ諸君のためのテキストとなることはもちろんですが、全国の高校生のためのテキストにもなって欲しいという思いから始まった企画です。奇しくもその連載のスタートの時に、東日本大震災という不幸が日本を襲いました。使命感を持って良いものを皆さんに提供していきたいと思います。