結婚という青い鳥 2
前回は結婚は自己実現を妨げたり人生の自由が犠牲になったりというようなものではなく、むしろその反対で人生の可能性を無限に広げ、かつ、より自由で充実した人生をもたらすということを話しました。そして今月はその具体的な例を紹介したいと思います。
辻井伸行さんという人の名前を聞いたことはないですか? 昨年6月、アメリカで行われたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人初の優勝をした天才ピアニストですね。当時はまだ20歳、しかも生まれつきの全盲です。このコンクールは4年に1回しか開催されずいわばピアノ演奏のオリンピックみたいなものだそうです。今日はその伸行さんを育てたお母さんの話をしたいと思います。
まず、辻井伸行さんのこと。
昭和63年(1988年) 生まれですから今年22歳。
平成7年(1995年) 7歳にして全日本盲学生コンクールピアノの部1位
平成10年(1998年) プロピアニストとしてデビュー
平成11年(1999年) 全国PTNAピアノコンベンティションD級金賞
その後数々のコンクールで活躍し、先述したように、昨年、ヴァン・クライバーン・国際ピアノコンクールで優勝し、天才ピアニストとして国際的に最も注目される存在としてマスコミにも度々登場し、今、日本で最も注目されている人物の一人です。
辻井さんがすごいのは、生まれながらの全盲ですから、楽譜が読めません。もちろん点字の楽譜は読めますが、楽譜を見ながら演奏はできません。すべて聴いて覚えて演奏するのですよ。どんなクラシックの長い複雑な曲でも1度聴いたら演奏できるというのです。私なんか、カラオケで新しい歌を覚えようとすると、車の中で1ヶ月くらい聴かないと覚えることができないのに…。
しかしここまでなるには本人はもとよりお母さんの大変なご苦労があったのです。今日はそのお母さんの話が本題です。
お母さんのお名前は辻井いつ子さん。昭和35年東京生まれ、東京の短期大学卒業後、フリーのアナウンサーとして活躍。いつ子さんにとってはまさに念願の自己実現の人生が始まりました。そして昭和61年産婦人科のお医者さん辻井孝さんと結婚されます。いつ子さんは「学園闘争や政治運動は過去のものとなり、豊かになった日本経済を背景に、物質的に恵まれた青春時代を過ごした最初の世代」(「今日の風何色?」より)で、夫の孝さんは「医学生時代から食道楽の粋をつくして」(同書)おられたようなまさに恵まれた苦労知らずのお二人だったようです。新婚時代は「二人でおいしいものを食べ歩いたりブランド品の買い物を楽しんだり、友達感覚の夫婦で共働き、二人分の収入で趣味や食生活に豊かな時間を過ごし、子供を持たない生き方」(同書)を理想としておられたようですね。仕事の面でも有名な高橋圭三さんの事務所に入り、アナウンサーとして活躍しておられたのです。
そんな時、昭和63年に長男伸行さんを出産。伸行さんは生後まもなく生まれながらにして全盲と判明。夢のような「自己実現」の時代が終わり、絶望と不安の子育てがスタートすることとなったのです。
「このころ私は、とにかく初めて体験することになった育児に疲れ果てていました。伸行は目が見えないだけでなく、こちらの働きかけにもあまり反応を示してくれなかったのです。<中略> 目が見えないのですから音を出す以外にないのです。けれど音には反応するとはいっても、何が伸行の好みなのか、うれしいのか嫌なのか、なかなか反応を示してくれなかったのです」「何よりも、生活の中の音に、異常なまでに敏感でした。例えば掃除機や洗濯機の音が鳴り始めると、火がついたように泣きだしてしまう」し、買い物などに連れて外出してなれない音が聞こえると2時間ぐらい泣きやまなかったそうです。
そしてそれだけではなく、いつ子さんと伸行さんの生活は、「信じられないようなパターンに染まって」いくのでした。それは、目が見えない伸行さんには昼夜の区別がなく昼夜逆転の生活だったのです。
このような育児に身も心もくたくたになっていく中で、いつ子さんは伸行さんが音楽に「意思を持って」反応することを発見します。そして伸行さん2歳と3ヶ月のとき、いつ子さんが口ずさむジングルベルの歌にあわせて、買い与えた子供用のピアノをなんと正確に弾いたというのです。それからピアノのレッスンが始まります。音符すら読めなかったいつ子さんも伸行さんのマネージャー役として、必死で音楽の勉強をされたそうです。その二人のがんばりは並大抵のことではなかっただろうと思います。
そして今、天才音楽家として世界的に大活躍している伸行さんがいて、その伸行さんを育て上げた偉大な母として全国を講演活動で飛び回り、何冊ものベストセラーを出版して多くの人々に感動と勇気を与えて大活躍しているいつ子さんがいる。
いつ子さんの人生は、独身のころの自己実現が可能となった充実した日々から、結婚、そして出産によって、一見、自己犠牲の人生へと転落したように見えますね。しかし果たして本当に自己犠牲だったのでしょうか。君はもう理解できただろうと思います。そうではないよね。いつ子さんの人生は、伸行さんによって新しい音楽の世界に広がり、そして世界に展開するようになったではありませんか。
それは孝さんとの結婚によってもたらされました。1プラス1は2ではなく無限だと、先月号で言いましたが、いつ子さんの人生はまさにそうですね。結婚や子育てによって自己実現ができなくなるという価値観や、自由が束縛される結婚はしないなどという考え方がいかに一面的で偏った見方に基づいているかわかってくれましたか?
結婚は決してそんなけちな価値観で拒絶されるようなものではなく最高の「幸せの青い鳥」だったのです。
最後に辻井いつ子さんの言葉を紹介して今月号を締めくくりたいと思います。
「絶望があったから、希望が輝いて見えるんです」