私は、校長という立場は君たち生徒諸君一人ひとりの応援団長だと思っています。ですから私が担当するこのコーナーは、今これを読んでくれている「君」への応援歌でありエールだと思ってください。
平成17年の開校1年目のスクーリングでこんなことがありました。2年生の中村君(仮名)が宿舎である民宿のご夫婦と雑談の中で「おじさん、おばさん、僕たちは若いけど、みんなそれぞれに地獄を見てきたんです」と打ち明けてくれたことを後で聞きました。いじめにあったこと、友人の裏切り、家庭的なトラブル、深まる劣等感等さまざまな要因でもがき苦しむ若者の実態を垣間見た気がして、以来このことが私にとって忘れられない言葉となりました。そしてその「地獄」から生徒たちを救い出すのが勇志国際高校の役割だと思うようになったのです。
私の63年の人生は、まさに波乱万丈を絵に描いたような人生でした。いっぱい「地獄」も見てきました。 私は警察官を12年間勤めた後で、33歳のとき熊本の市会議員になり、37歳のときから県会議員を3期務め、その後国会議員の選挙に4回立候補して全敗しました。しかもコテンパンに負けました。落選が決まったとき、それはまさに地獄でした。多くの支持者への申し訳なさ、屈辱感、絶望感に押しつぶされそうでした。
その苦悩は時間の経過と共に確実に薄れていきました。時間が一番の良薬だとはよく言ったものですね。しかし時々思い出すのです。というより意識的に思い出していました。初めて落選したときの惨めで悔しい思いを振り返って、2度とあんな思いはしたくないから次はもっと頑張って必ず勝ってやるぞと自分を奮い立たせるのです。それが私の原動力でした。しかしそんな時は実にいやな気分になります。いやなことを思い出すのですから当然です。そしてその後にはろくなことは無いのです。いやな気分の後にはもっといやなことが起こるのです。結果はもっと惨めでもっと悔しく悲惨な得票数での落選という結果でした。その次もその次も、もっともっと結果は悪くなるばかりで、まるで頑張れば頑張るほど底なし沼に沈んでいくようでした。
精も根も尽き果てて、政治活動から完全撤退をしてからは、落選したときのあの無残な体験は思い出すのもおぞましく、すっかり忘れることにしたのです。すると身近なところにささやかではあるけども実に楽しい家族との語らいが復活してきたのです。
実は、そこから人生が変わり始めました。もちろん良い方向に、です。人間的にも豊かな気持ちで人様と接することができるようになってきたし、幸せってこんなだったのかと思えることが急に増えてきました。そして、こうして思いもかけず新しい学校設立に参加でき、校長として若い諸君とまことに充実した人生を送れるようになったのです。
この体験から私が君に伝えたいことは、もし君が今「地獄」の真只中に居ると思ってたり、過去のいやなことに心が引っかかって苦しんでいるのなら、「地獄」の隣は「天国」であって、壁で仕切られているわけでなくどちらに入るかは君の気持ち次第だということを知ってほしいということです。天国のほうを向いて一歩踏み出すだけで地獄から脱出できるのです。君が地獄と思っているその状況や過去のいやなことを見つめるのではなく、君が望むこと、希望や目標、または過去の楽しかった思い出など何でもいいから、こうなれば楽しいだろうなあと思うことを探して、それをノートに書いてそれが実現したときのことを想像するのです。楽しくてたまらなくなるまでそのノートを読んでごらん。いつのまにか苦しくつらいことは消えていることに気が付くことでしょう。これが天国のほうを向いて一歩踏み出すということなのです。
苦しいと思えばさらに苦しいことが、楽しいと思えばさらに楽しいことがやってくるのです。過ぎ去ったいやな思い出に心の焦点を合わせると、もっといやなことを自分で引き寄せてしまうことになるのです。かつての私がそうでした。
いやな過去などきれいさっぱり忘れて、自分の心を解放してみようよ。今起こっていることもすでに過去なのですから。そしてどんな小さなことでもいいから喜んで感謝できたなら、こんな幸せなことはないし、心がけ次第で誰にでもできることなのです。
それでは、来月またこの欄で「いやな過去から解放された君」と会えるのを楽しみにしています。
「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る」
完