マレーシア独立秘話
マレーの独立に捧げた命「豪傑トシさん」物語(1)
「ハリマオ物語」の最終回となった先月号で、シンガポールの病院で、マラリアをこじらせて帰らぬ人となったハリマオこと谷豊の最期を看取った「トシさん」こと神本(かもと)利男(としお)の物語にこの8月号から移ります。
神本利男は、F機関長藤原岩市少佐のアジア独立の大義にかけた情熱に共感して、F機関の一員として生涯をささげる覚悟を決め立ち上がったのでした。そして最初の任務となったのが、ハリマオこと谷豊の説得だったのです。
神本は、ハリマオとなった谷豊に日本人として最初に接触した人物となりました。そして日本軍のマレー・シンガポール侵攻に際して、現地のマレーの人々を説得して、日本軍に協力してもらう事前工作を一緒にやろうと呼びかけたのです。
この2人の日本男児の事前工作の働きがなかったら、マレー・シンガポール作戦は失敗に終わっていた可能性があるのです。彼らの働きがあったからこそ、日本軍のこの作戦は空前の大勝利をおさめ、世界中の有色人種、とりわけアジア各国の数百年にも及んだ植民地支配のなかで虐げられてきた民衆に、自信と勇気を与え、戦後の植民地からの独立への巨大なエネルギーとなったのです。
つまり、人類史から、白人による有色人種の植民地支配と人種差別というおぞましい歴史を終わらせた燦然と輝く日本の栄光の歴史は、この2人の出会いが出発点となったのです。
さて、ラティフの熱弁は続きます。
「マレーの植民地政府(英国)から高額の懸賞金がその首にかけられていたハリマオは、タイ国の官憲に逮捕され、マレーとの国境から数十キロにあるタイ南部の町のハジャイ監獄に収容されていたのさ。
ハリマオ団は、マレー国内で暴れまわりタイに逃げこむというパターンを繰り返していたようだ。タイ国内での懸賞金はわずかなものだったし、それどころか義賊となったハリマオの人気はタイ人の間でも圧倒的で一般民衆はハリマオの味方だったんだ。盗賊なのに、正義の味方、そして弱い者の味方だったからな。」
ラティフは、自分が現職の警察官であることを忘れたかのように、盗賊ハリマオ団のことを自慢するのでした。
トシさんは、南タイの裏社会を牛耳るクンロン親分と会って相談することにしました。彼は、トシさんと同じ北拳(ほっけん)の同門だったのです。北拳というのは南満州の千山(せんざん)を総本山とする道教に伝わる武闘派(ぶとうは)拳法(けんぽう)のこと。当時満州の警察官だった神本利男は、上司の許しを得て今でいう休職の立場で、この総本山で3年間の超人的修行に励み、最高位門弟のお墨付きを頂いていました。もともと彼は拓殖大学で空手を極めた武道家でしたから、上達は驚異的な早さでした。この北拳は満州(まんしゅう)では馬賊(ばぞく)(ならず者の集団)から農民までが身に着けるいわば護身のための武術でもありました。最高位門弟の称号を得たトシさんは馬賊たちからも恐れられる存在になっていました。
クンロン親分は、その北拳の同門でトシさんより格下だったのです。
ハリマオに会わせてほしいというトシさんの願いを聞いたクンロン親分は、手下を使ってすかさず手を打ってくれました。ハジャイ監獄の看守長に、話をつけてくれたのです。監獄の看守にまで、親分の影響は及んでいたのですね。
トシさんこと神本利男が、釈放されたハリマオこと谷豊と初めて会ったのは、クンロン親分の配下の屋台のオヤジの隠れ家でした。町はずれの粗末な一建屋の狭い部屋の中で、粗末なテーブルをはさんで2人は向 き合って座りました。窓は周りの目を憚(はばか)って締め切ってあります。もちろん、当時のことですから冷房はもちろん扇風機もありません。40度ははるかに超える蒸し風呂のような中でトシさんは話し始めました。
「谷君、間もなくこのマレー半島で戦争が始まる。マレー半島を植民地として長い間支配してきたイギリス軍と日本軍が戦うのだ。ぜひ君の力を貸して欲しい。」
このように切り出したトシさんに、ハリマオが怒りをあらわにして反発しました。
「俺は、日本人は大嫌いだ。その日本になぜ俺が協力するのだ。お前は俺の妹がオラン・チナ(華僑)の強盗団に殺されて、犯人どもを逮捕したオラン・プテ(白人)が、ろくな裁判もせず無罪釈放したのに抗議していた時、日本人たちは、俺に何と言ったか知ってるか。手助けするどころか、あきらめろだとよ。
そして自力で俺は立ち上がって復讐を始めた。すると今度は、やれ盗賊だ、日本人の面汚しだとぬかしやがる。そんな日本人に協力しろだと?冗談も休み休み言え。それに、俺はもう日本人ではない。ムスリム(イスラム教徒のこと)に帰依したれっきとしたマレー人だ。」
「そうだったな。君のマレーの名前はモハマッド・アリー・ビン・アブドラ―だったな。今からはアリーと呼ばせてもらうよ。アリー君、君がマレー人ならなおのことだ。このマレーの大地は誰のものだ?もちろんマレー人のものだよな。しかし、450年もの間、オラン・プテに国は奪われ、マレー人は奴隷扱い、富は収奪され、独立目指して何度も立ち上がったが、その都度圧倒的な軍事力で潰され、関係者は皆殺しにされてきたではないか。この戦争は、このマレーをはじめアジアの地から、オラン・プテを本国へ追い帰して、アジアの国々を解放して独立させるための戦争なんだ。」
神本の、静かな中にも熱誠あふれる一言一言が、ハリマオには、魂の叫びに聞こえました。ハリマオの顔から怒りが消え、日本人の若者の正義感と使命感がよみがえってきたのを、神本利男は見逃しませんでした。
「アリー君、このまま戦争が始まったら、日本軍はとてもイギリス軍には勝てない。勝つためにはマレーの人々の協力がどうしても必要だ。マレー人とともにマレーの独立戦争を戦うのだ。そのためにはアリー君、君の力が必要なんだ。」
「お前の言うことは分かった。しかし俺にそんな力はない。買いかぶりだ。」
「いやアリー君、君にしかできないことが山とあるよ。日本軍はマレーの地理も知らない。案内役がいる。イギリス軍の陣地も調べにゃならん。イギリス軍の兵器や兵員、そして何より、イギリス軍の後方に回ってマレー人のカンポン(村)を日本軍の味方にして協力してもらわにゃならん。それができるのは、アリー君、世界広しと言えども君しかいない。」
ハリマオの胸は、熱く燃えました。幼い妹を惨殺した犯人を逮捕しながら無罪釈放したオラン・プテへの復讐心が、マレー解放の戦いが始まることへの興奮に加わったのは言うまでもありません。
神本利男は明治38年生まれ、ハリマオこと谷豊は明治44年生まれ、神本が6歳年長でした。2人はこの作戦に協力して当たることを盟約し、義兄弟の契りを結んだのでした。
以来、アリー、トシさんと呼びあい、まずは、ジットラ陣地の調査から始めることを決めて2人は、次の落ち合う時と場所を約束して、別れました。
ラティフの話に戻ります。
「トシさんとハリマオが日本軍に協力することを約束した日、ハリマオはトシさんから、君は今からはマレーの人々とともに、マレー独立の英雄になるのだから、もう盗賊はやめろよと言われ、彼は子分を集めて、ちゃちな盗賊はやめて、オラン・プテから植民地を取り上げる大盗賊になることを宣言したのさ」
と、眼を輝かせて話すのでした。