若松君の書いた作文
「逆転劇」
私の高校生活は本当に人生何があるかわからない、と思い知らされた三年間だった。また、書道の魅力に惹かれ、書道を愛した三年間でもあった。
高校に入学するまでの私は特に悩み事があるわけでもなく、大きな挫折をすることもなく、のうのうと学校生活を送っていた覚えがある。しかし、高校二年生に進級した頃から自分の精神的な異変に気づき始めた。明確な夢がなかった当時の私は、なんだか勉強に対する意欲も薄れ、何のために毎日学校に行っているのかすらも曖昧だった。ただ、勉強をしないと優秀な周りの生徒に置いていかれる、と自分で自分を追い込んでしまっていた。当時、九州大会の選抜賞をいただいていたが、当然出られる状況ではなく、辞退した。そんなとき、唯一の私の心の支えだったのが書道だ。臨書を重ね、自分をダイナミックに表現していく作業はどんなに苦しい状況も一瞬でかき消してくれるほど楽しかった。
そして、学校を休んでいる日数も増え、もう宮崎大宮高校に復帰することは難しいだろうとなったとき、思い切って勇志国際高校への転校を決意した。新しい、自分に合った勉強や生活ができ、学校生活に慣れてきた頃、先生から席上揮毫大会や、高文祭にも出ることができると聞いた。私は前の学校の先生や友達に迷惑をかけた立場だ、ということ、また書道を本気でできるかもしれないという嬉しさで複雑だった。ただ、そこは書を愛する一人間として出場を決めた。その後、無事に去年と同じく九州大会選抜賞をいただいた。去年できなかったことができるという喜びと、周りはほとんどが二年生が出場している、というプレッシャーを同時に感じた。そこから、目指すのは一席しかない、と夢中になって練習できた。そしてむかえた九州大会、私が満足するまで書を教えてくださった本田先生、出場できるよう手筈を整えて下さった勇志国際高校の先生方、心身ともに支えてくれた親、など周りの方々のおかげで私は九州で一席を取ることができた。感謝してもしきれない。
ほぼ同時期に大東文化大学の文学部書道学科の合格も決まっていた。これから先も書道に携わり、書道の高校教員になりたいという夢もできた。学校に行けず、今までの人生の最下点だと思い、落ち込んでいたある頃の自分に伝えてやりたい。「努力を惜しまず、自分がそうなりたい、という強い願望さえもてば、叶わないことなんてない」と。